あの公害病がなかったら、熊本で漁師を継いで平凡に暮らし、記者会見だの訴訟だのとは無縁に過ごしていたに違いない。関西水俣病訴訟原告団長の川上さんはそんな風貌のおじいさんだった。最高裁が国や県の行政責任を認めた15日、そのおじいさんが記者会見で言った。「裁判の22年は長い年月だが、命を懸けてきたから、ほんの短い時間に感じられた」。水俣病の発見は昭和31年、毎日食べていた水俣湾の魚が水銀に汚染されていた。川上さんは大阪に移り住んでから公害病の認定を申請したが、未だに認定されていない。そして22年もかかった訴訟。
企業倫理が向上したためか、あるいは相次ぐ訴訟のために企業がそのリスクを回避しようとした結果なのか、高度成長期に各地で起きた公害病も最近はほとんど発生しておらず、こうした訴訟関連ニュースもなんとなく「過去のもの」という手触りがある。しかしその間にも川上さんたちは「命をかけて闘ってきた」のである。 平凡に過ごすことができたはずの人生を、「国との命をかけた闘い」に変えてしまった公害病。国や企業は、かけがえのない被害者たちの人生をどのようにつぐなえるというのだろうか。
by pabon
| 2004-10-16 01:40
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