すっかり忘れていたのである。もみじがあんなにキッパリと紅いことなんか。空気もうまかった。わずか1時間あまりであんなに爽やかな空気を味わえるとは知らなかった。たまには東京を離れて、違う土地の空気を吸わねばならない。
長い間会社にいると私のようなものでも「昇任」することになり、その研修で軽井沢に行った。同期の顔も忘れていたのが多かった。正確には、「あまりに久し振りに会うために、入社当時の紅顔の美少年と現在の疲れたおっさんの姿が結びつかないのがいた」ことになる。 研修自体も「有意義」であったといえる。当日は朝まで仕事だったために完全な睡眠不足、さらに風邪ひきでもあったために、夜の飲み会にほとんど参加できなかった。これが残念。 それにしても「もみじはキッパリと紅かった」。本当にこれにビックリしたのである。 #
by pabon
| 2004-11-06 13:00
これがアイダホの農場でジャガイモを作っていてそれに満足しているおばちゃんなら、イラクについて無知のままいい。なぜならイラクに行こうなどとは考えないし、やっぱりイラクは遠い国だから。しかしイラクという「戦場」を見ようとする能動的意思がありながら、情報収集や装備の準備をしないというこの無謀さはどうしたことか。イラクで拉致・拘束された24歳の男である。現地で会った日本人や現地人の証言によると「イラクをどうしても見てみたい」という旅行感覚で、ロクな装備もなく、わずかな現金しか持たずにイラク入りした、という。
男はワーキングホリデーでニュージーランドに滞在していた。つまり日本とNZという自分の極めて狭い視野(経験)だけで世界がわかった気分になったこの幼稚さ、平和ボケ。「世界のひとはみんないいヒトばっかりなんですぅ」を証明したいのか。さらに何の根拠もない「自分は大丈夫」「なんとかなる」。そこでは報道をチェックすることや、自分が向かう国の現状を調べるという努力すら放棄している。「地球の歩き方」にイラク編はないからな。さらに悪いことに、若さと体力と行動力だけは人一倍ある。英語もなんとか通じるレベルだ。だから余計に始末におえない。 救いようがない。どっちの意味でも。 #
by pabon
| 2004-10-29 03:56
地震から5日目、長岡市で土砂に埋まった車から2歳の子供が「奇跡的に」救出されたが、「全員生存の期待!」もむなしく、母親は死亡が確認され、残るひとりの子供の捜索が続いている。そしてテレビは全社が揃ってその模様を延々と中継していた。かぎ括弧はテレビが喰いついた根拠の煽り文句である。
多くの人が生存を諦めかけていた母子が生きていたと判明、その救出シーンが中継カメラの前で繰り広げられればこれはテレビ局にとっては「おいしい場面」に違いなく、それを見守りたい視聴者が全国にいっぱいいることも否定しない。かくいう私も息をこらして見入ってしまったひとりだ。しかし、だからこそあえて言う。そればかりを「感動の救出ドラマ」として見せるかげで、10万人の被災者のいまだに続く苦難を伝えることをおそろかにしていないか。 もう一度認識しよう。この現代の日本で、地震から5日目になってもまだ満足に水や食料が行き渡っていない被災者がいて、石灰で地面にSOSを書いているのだ。せっかく地震そのものからは生き延びながら、相次ぐ余震と寒さのストレスからお年寄りが毎日亡くなっているのだ。生き埋めになった親子の救出も伝えるべきだが、その「感動のドラマ」がすべてになっていいのだろうか。 テレビという箱には、時に「笑い」も「感動のドラマ」もあっていい。しかし「感動のドラマ」という切り口だけでニュースを作ってはいけない。メディアがそんな伝播力しか持ちえていないために、現代の日本からは「大丈夫だから、ちょっとイラクの現状を見てきたい」「金がなければバグダッドで野宿すればいい」という、皮膚よりも深いところでの思索ができない、恐ろしく無責任な24歳の男が産まれてきてしまったのではないか。 #
by pabon
| 2004-10-27 21:06
昔から本が好きで、最盛期には「年間で140冊読破」って頃もあった私だが、最近は読書量がめっきり落ちている。これは「今の部署では深夜早朝シフトが多くて片道はタクシー送迎がほとんど」「電車の場合でも通勤時間が30分という恵まれた環境にいる」「子供と一緒に早寝して、朝はジョギングかスイム」という複合理由からで、このところは年間60冊程度か。読書傾向も変わるもので、ミステリー・冒険小説にワクワクした年頃は過ぎ去り、最近は小説が「所詮は創りモノ」に見えてしまい、取っ付きが悪かった。まあこれは揺れ戻しがあるかもしれない。
2ちゃんねるから生まれた「電車男」についても、「2ちゃんの書き込みのまとめなんか、金を払って読むものぢゃあないだろう」という偏見でいた。しかし24日付日経の書評欄が気になったために当日の昼ごろ購入したところ、これがとにかく面白くて、わずか数時間で読み終わってしまった。はじめはゲラゲラ笑いながら、そしてクライマックスの盛り上がりには感動すらして。つまりはすっかり術中にハマってしまったのだ。そして読了翌日になっても、なんだかフワフワとあったかい気分が持続しているのだ。 全編が電子メールだけで構成されたイギリスの広告会社を舞台にしたドタバタ小説を数年前に読んだことがあるが、「電車男」は日本が舞台なだけにずっとリアル。ベースになったエピソードはちょっと出き過ぎな感もあるが、あの2ちゃんがここまで盛り上がったというファンタジーと捉えることもできる。2ちゃん住人たちの連帯感と高揚感を追体験するだけでも面白い。 週刊新潮によると「映像化の申し込みが殺到」とあるが(まあ版元の週刊誌の記事だから半分は宣伝文句だと思った方がいい)、さてどう料理するのか。主人公2人は役者にやらせるしかないとして、2ちゃんの住人まで実物化されるとカナワナイなあ。いっそ電車男のひとり芝居ではどうだろうか。 #
by pabon
| 2004-10-25 21:01
作品の良し悪しを論じるほど写真に詳しくはないが、「これはヘタクソ」という写真は判る。というか、素人の私をビックリさせるほど明確に酷い写真が雑誌の広告写真に使われているという珍しい例だ。
問題の写真はロッテ・キシリトールガムの広告写真。「冬ソナ」のチェ・ジウが写っているやつで、発売中の小学館「サピオ」の10月27日号の裏表紙で見られる。立ち読みしてでも、是非。 女性を撮っているというのに、この照明のベタさはどうだ。まるで陰翳ってものがない。背景は緑一色、町の写真館のスタジオバックをそのまま使ったのか?じいさんばあさんが細々とやっている駅前食堂がメニュー用にオムレツの写真を撮る時だって、もう少し工夫ってものがあるのではないか。そして決定的なのはチェ・ジウのわざとらしい笑い顔と老け顔だ。東ちづるかと思ったぜ。こうした商業写真では何カットを撮るのか知らないが、わざわざこれを選ぶウラには女優への嫌がらせがあるとしか思えない。私がタレント事務所だったら、即座に猛烈抗議だ。こんな写真をバラ撒かれたら女優生命にかかわる。 実はこの写真は1ヵ月ほど前のサピオでも見かけているのだが、また掲載されている次第。この間にロッテ社内で問題提起はなかったのか?これでロッテはプロダクションやカメラマンにどれだけ払ったのだろう。実にいろいろ考えてしまう不思議な写真なのだ。責任者出てこい。 #
by pabon
| 2004-10-21 10:37
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